1560~1600
治部少輔 通称:佐吉
近江の茶坊主であったところを豊臣秀吉に見いだされ、仕官したという。このことから秀吉に並々ならぬ恩義を感じている。
頭脳明晰で、思ったことを包み隠さずいうことが多く、よく思わない者も多い。
特に、武断派と呼ばれる武将たちとは専門がまるきり違うこともあり、よく衝突する。
大谷吉継と仲が良く、己の言葉の足りない部分を吉継が補ってくれることに関して感謝しているが、伝えることはほぼない。
関ケ原の合戦では総大将の毛利輝元を大坂城におき、自身は本戦で指揮を執るが敗戦、捕らえられ六条河原で斬首刑となった。