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浅野幸長

1576~1613

左京太夫、紀伊守

一人称はオレ。~ッスと軽めの敬語で話し、大体の人間を〇〇センパイと呼ぶ。

浅野長政の息子として近江国で生まれる。

順調に出世していたが、秀次事件の影響で配流された。しかし、前田利家や徳川家康らのとりなしによりすぐ復帰する。

蔚山城の戦いにて加藤清正とともに飢死しかけたが、援軍の到着により無事勝利。それ以来清正に尊敬とあこがれを抱いている。

関ヶ原の戦いでは東軍に属し、西軍を打ち破った。戦後、紀伊和歌山三十七万六千石を与えられる。

​38歳でこの世を去り、息子がなかったため弟の長晟が浅野家を継いだ。

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